


大学時代からパチンコが大好き!パチンコと勉強に燃える毎日でした。就職時にパチンコ業界も考えたのですが、大学でソフトウェアを専攻していたため、ソフトウェア会社に就職。
でも、「やっぱりパチンコ業界で働きたい!」という気持ちが抑えられなくなったことが、SANYOに転職した理由です。当時のSANYOは今のように業界大手ではありませんでしたが、学生時代に遊技していたSANYOの機種に画期的な機能が搭載されていた事を思い出し、「こういう独自の発想や技術をカタチにできる会社で働きたい」という気持ちになりました。異業種への転職でしたが、前職で身に付けたアセンブラという開発言語がパチンコのソフトウェア開発でも使われていたこと。そして、「こういうことをしたい」という課題を解決するソフトウェアの能力を身に付けた前職の経験が、SANYOで働く私のバックボーンになっています。20代はソフトウェア開発を担当し、30代前半で企画へ部署異動しました。
SANYOでは部署に関係無く、商品開発に関する意見を出せるので、ソフトウェア担当をしていた時に多くの意見を出していた事もあり、そうした姿勢が評価されての異動だったのでしょう。企画では、営業や映像制作会社、版元など、様々な人とのつながりができました。こうした人脈の広がりが、今でも役立っています。
私が最初に開発を担当した機種が、初代ギンギラパラダイス。この機種はそれまで他社が導入していなかった保留玉の画期的なシステムを導入したこともあり、社内で高い評価を得ました。お客様にも爆発的な人気を得て、これが20年以上も業界の宝としてホール様から大事にされ、多くのユーザーの方に愛され続けている海物語につながり、パチンコ業界の発展に貢献したと自負しています。
また、ギンギラパラダイスや海物語の代表的な演出である魚群予告の当たり・はずれを振り分けるソフトを私が作りました。そうした斬新さだけでなく、盤面のデザインや液晶画面に表示される魚の絵など、全員でアイデアを出し合い、より良い機種を創り上げていった事が印象に残っています。私にとってのモチベーションは成功すること。自分の成功はもちろん、周りの人たちが成功した時も私のテンションは上がります。
また、成功する事で職場の雰囲気も良くなります。今は商品開発部の部長として、担当者のやりたい事を成功に導く為のアドバイスと軌道修正を行い、成功体験を味わえるようにバックアップしています。
SANYOの機種開発で大切なことは、「何事も楽しもう」という気持ちです。作り手が「楽しむ気持ち」を持っていない遊技機がエンドユーザーにとって楽しいはずがありません。
また、変えない事、変わらない事はリスクであり、進化とチャレンジを続ける勇気を持つ姿勢が重要です。実際にチャレンジを続けられる雰囲気がSANYOの社内にはあります。海物語が20年以上にわたって多くの方々に愛され続けてきたのは、全員が遊技機開発に楽しく取り組み、進化とチャレンジを続けてきた結果だと思います。
また、時には「やった事がない」「難しそう」と思う事にアイデアの種が隠れていることもあります。色々な事に挑戦する事で、視野が確実に広がっていきます。現代はSNSを活用した新たな娯楽が選択肢として増えており、パチンコも今まで以上にエンターテイメント性が必要な時代に入っています。視野を広げて、今までとは違った角度から、新たなアイデアが生み出されることもあるでしょう。楽しみながら遊技機を開発することは簡単では無いかもしれませんが、業界トップの座を維持しつつ、会社のみんなが「幸せ」になれるSANYOでありたいと考えています。
1日のスケジュール確認
市場のデータ確認店舗の稼働状況、競合の新機種情報 など
怒濤の打ち合わせ
様々なプロジェクトに参加して、進捗状況のチェック、管理部門との打ち合わせなど
昼食 打ち合わせの合間で一息つく
打ち合わせ 午後も引き続き、様々な部署との打ち合わせや試打等を行う
退社
退勤後は市場調査でパチンコホールへ行ったり、様々なイベント等へ