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入社のきっかけは?

ハンドルを捻って、玉を打つ。
シンプルな遊びのなかに
喜怒哀楽を与える、仕掛けを。

大学生の頃、パチンコ好きの父親と一緒によくホール様へ遊びにいっていました。当時は『大工の源さんや海物語(初代)』が人気機種で、常に席が空かないほどの盛況ぶりでした。私自身、子どもの頃から漫画を描いたり、ゲームブックを作ったり、創作することが好きだったこともあって、ハンドルを捻って玉を打つだけのシンプルな遊びのなかで、人に喜怒哀楽を与えるパチンコに興味を持ち「自分もこんな風に人の感情を揺さぶる機種を作りたい」と思うように。

すでに確定していた内定を辞退し、改めて就活をスタートさせました。入りたい企業は決まっていました。もちろんSANYO。自分が好きな機種を作っているという部分が大きかったです。当時はパチンコ開発と言えば理系のイメージが強く、自分は文系。ただパチンコに対する情熱は誰にも負けない自信があったので、履歴書を送付する際、今では恥ずかしくて誰にも言えないような企画案を方眼紙にびっしり書いて送りました。その想いが通じたのか内定を得ることができ、念願の夢であった企画課に配属されることになりました。

あれから20年ほど経ちますが、パチンコ開発一筋。これまで約20タイトル以上を市場に送りだしてきたことはちょっとした自慢です。

仕事のやりがいについて

企画課は開発のスタート地点。
やりたい!を実現できる部署。

ホール様やエンドユーザーが求めている市場ニーズを分析しながら「ホール様やエンドユーザーに刺さる!」と思うものを会社に提案。承認されれば開発がスタートします。ディレクターとしての私の業務は、プロジェクト全体のハンドリング役。大当り確率・確変突入率、大当り時のラウンドの振り分け、ゲージ(釘の配列)、映像演出など、全体のバランスを見ながら、関係各所と連携して開発を行っていきます。開発は2~3年という長い年月をかけて作り上げても、評価は一瞬で決まってしまうシビアな世界。

初めて担当を任されたのは入社2年目。看板タイトル『海物語シリーズ』でした。プレッシャーに押し潰されそうになりながらも開発を続け、無事に市場に導入。ユーザーの反応は?とドキドキしながらホール様へ視察に出かけました。しかし、空き台がポツポツあって活気がない。……初担当機種は大失敗に終わったのです。ショックでした。悔しすぎて夢にでてきたことも。ただ、今思えば貴重な経験だったなと。最後まで諦めない精神、強靭なメンタルを手に入れました。あの時の経験が今の私の原点です。

SANYOについて

失敗することが悪いんじゃない。
挑戦しないことが、ダメなんだ。

挑戦をしていれば、成功することもあれば失敗もある。開発ではよくあることです。すべてがいい結果で終わる訳ではないのです。時代性に合うもの合わないもの、他メーカーとの発売のタイミングが被るなど、運もあります。ただ、失敗を恐れる必要はありません。たとえ結果が悪くても、本人にやる気と情熱さえあれば、何度でもチャレンジの機会を与えてくれる会社です。

実際に私が1作目で大失敗した際も、「気にしなくていいから」「次に活かしていこう」と前向きな言葉で背中を押してくれました。企画課のみならず開発に携わるすべての部署が「最高の一台を作りたい」という気持ちを持っており、互いに熱く意見を言い合えるメンバーが多い現場です。また、新技術の研究開発チームもあり、希望があれば参加することも可能。


また『海物語』や『大工の源さん』など、オリジナル機種の多いSANYOだからこそ、自分のオリジナル機種を開発するチャンスも他社と比べて多いと思います。私自身も海物語に代わるオリジナルヒット機種を生み出すことが将来の目標。私のチャレンジは、定年を迎えるその日まで続きます。

出社子供を保育園に連れていくため時差出勤!

メールチェック他部署や協力会社様からの問い合わせ内容の確認

社内打ち合わせメンバー内でゲーム性やスペックについて議論

昼食社員食堂にて昼食(仕出し弁当)

社外打ち合わせ協力会社様とデザイン物やソフト制御に関する打ち合わせ
※来社される場合や最近はオンラインの会議も多いです

雑務他プロジェクトの試打、開発以外の業務資料等の作成

退社火曜と木曜はNO残業DAY!子供を迎えに保育園へ!

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